先日、阪神タイガースに育成選手として入団したルーキー・工藤泰成選手が支配下登録され、背番号24をつけると知りました。24番といえば、元阪神タイガースの横田慎太郎さんがつけていた番号です。そのニュースをきっかけに、自宅にあった『奇跡のバックホーム』と『栄光のバックホーム』の2冊を改めて読み返しました。
『奇跡のバックホーム』は横田さん自身の視点で書かれたものであり、『栄光のバックホーム』は横田さんの母・真知子さんの視点で綴られています。同じ出来事でも視点が異なることで、横田さんがどのように闘病し、周囲の人々がどのように支えていたのかが、より深く伝わってきました。
将来を嘱望された選手を襲った病気
横田慎太郎さんは、2013年のドラフト2位で阪神タイガースに入団し、将来を嘱望された外野手でした。しかし、2017年に脳腫瘍を発症し、長い闘病生活を余儀なくされます。それでも、横田さんは決して野球を諦めることなく、抗がん剤治療やリハビリを続けながら、「もう一度野球をする姿をみんなに見せたい」という強い気持ちで病気と向き合っていました。
引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」
しかしながら、目標としていた甲子園の一軍の舞台に戻ることは叶わず、最終的に現役引退を決断します。それでも、2019年のウエスタン・リーグの引退試合では、「奇跡のバックホーム」と称されるプレーを披露しました。視力が低下し、送球の距離感も把握しづらい状況の中、それでも本能的に放たれた送球は見事にキャッチャーミットへと収まりました。これは、横田さんの諦めない強い気持ちが引き起こしたプレーであると感じました。
病気を経験したからこそ伝えられること
引退後の横田さんは、単に「元プロ野球選手」として生きるのではなく、自身の経験を通じて、同じように病気と闘う人々に勇気を届ける活動に尽力しました。講演活動や執筆を通じて、「どんな状況でも前を向いて生きることの大切さ」を伝え続けました。彼の言葉には、実体験に基づく説得力があり、多くの人の心を動かしました。
病気になって良かったこともある」という言葉の意味
特に印象的だったのは、横田さんが「病気になって良かったこともある」と語っていたことです。病気を患ったことで、知らなかった世界を知ることができ、周囲の人々の温かさをより深く感じられるようになったと綴られていました。その言葉を読んだとき、私自身の価値観を揺さぶられるような感覚を覚えました。一般的には、病気は辛く苦しいものです。しかし、横田さんはそこに意味を見出し、前向きに生きる糧としました。「なぜ自分がこの病気になったのか」という問いを繰り返しながらも、決して後ろ向きになることなく、その経験を誰かのために役立てようとした姿勢に胸を打たれました。
2023年、28歳の若さでの旅立ち
そんな横田さんでしたが、2023年7月に28歳という若さで亡くなりました。闘病生活を続けながらも、最後まで周囲に勇気を与え続けた姿は、多くの人の記憶に残っています。彼の生き様は、これからも多くの人に希望を与え続けるのだと思います。
まとめ
この2冊を読み返しながら、私も横田さんのように前向きに生きていきたいと強く思いました。日々の生活の中では、思い通りにならないことや、理不尽に感じることもあります。
しかし、それらをただ嘆くのではなく、自分なりに意味を見つけ、未来へとつなげることが大切であると考えさせられました。私もまた、自分の人生を前向きに歩んでいきたいと思います。
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